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清原に難病の母の思いは通じるか [スポーツ]

覚せい剤所持容疑で逮捕された清原和博容疑者。

彼の野球人生は「母を背負った野球人生」とも言われていますが、

難病と伝わっているその母の眼に、今の息子の姿はどう映っているのでしょうか…。


「怪物」と言われた清原の野球人生は、故郷の大阪・岸和田で始まりました。


少年時代の清原の基礎をつくったともいえるのが、

自宅近くの久米田池を走る毎日のランニングでした。

中学生にとって、

決して楽とは言えない日課のランニング。


そこに付き合ったのが、

自転車に乗った母・弘子さん。


雨の日も風の日も続いたこの二人三脚が、

その後、甲子園での「怪物伝説」につながっていきました。

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そして迎えた運命のドラフト会議。


泣き悲しむ息子に

「お母さん、もう、巨人ファンやめる。今日から、西武ファンになる。」

「悔しかったら、西武で頑張って、王監督を見返してやったらええやないの。」


運命に立ち向かうことを息子に促しました。




西武ライオンズに入団した清原が、合宿所を出てマンション住まいを始めると、

母・弘子さんは岸和田から飛行機と電車を乗り継いでマンションまで通い、

食事を作りに来ていたそうです。




母・弘子さんは清原が巨人に移籍したあとも、

都内のマンションに通い息子を支えたといいます。

清原にとって、巨人でのプレッシャーは半端ではありませんでした。

でも、それは弘子さんも同じ。


だからテレビ中継はあえて見なかったそうです。

知人から「清原が活躍した」と知らされると、

安心してスポーツニュースを見る毎日でした。



引退を決めたとき、清原と母・弘子さんは墓参りに出掛けました。

寺の前で車を降り、清原は弘子さんをおぶって歩きました。

「引退するよ」

背中の母に言った瞬間、母子は歩きながら泣いたそうです。


この時の二人の涙はどんな涙だったのでしょう。

これまで気の休まる日がなかった母にとっては、安どと寂しさが交じった涙。

清原にとっては、かけがえのない母への感謝の涙。



逮捕直前、清原は自らのブログで母の病気について語っています。


 今は、介護施設に入院しています。アルツハイマーや難病と、戦っています。

 僕が離婚したことも、忘れてしまっています。


清原が昨年末に見舞いに行ったときには、

「会いに来てくれたんか」と言ったものの、息子だとわからず

「あんた わたしの子か?」と言い、清原は涙にくれたそうです。



少年時代から強い絆で結ばれた、清原と母・弘子さん。


大歓声を浴びていた頃とは変わり果てた息子の姿を、

どんな気持ちで見つめているのでしょうか。



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